ぱんつの視界

見えたこと、匂ったこと、触ったことを、ぽつぽつと。

自由

The bestselling author put his foot in his mouth.

話題のベストセラー作家の失言について批判が集中している。で、彼の支持者は「彼には言論の自由があるッ!」といきり立っているのだけれど、こういう場合に引き合いに出される「言論の自由」はたいてい使い方がズレている。
だって、彼は言いたいことを言えている。言ったことに責任を持ち、その内容についての批判を甘受するのは先進国の大人として当たり前のことだ。そもそも「言論の自由」の意味は「批判されること一切なしで自由に放言できること」ではない。

「宗教の自由」「表現の自由」もそういうふうに誤用されることが多い。自分の信じる宗教を自分で選ぶことができ、自分の信念のもとで表現活動をすることのできる「自由」であって、「一切の批判を受けることなしに宗教を持てる自由」や「自身の宗教を他者に強いる自由」、「批判されずに表現できる自由」ではない。

日本ではまだ言論や宗教や表現に、この「自由」はある。異常なバッシングがあっても言いたいことはかろうじて言えているし、少なくても信念を口にすることで、もしくは冗談として現状を茶化したことで、投獄されたり命を奪われることはない。
そういう社会にしたいと、憲法で抑制される主体が強く望んでいる気配はあるけど。

 

私は20年以上前から、この種の「自由」を奪われて投獄されたり暴力をふるわれたりした本人や、「自由」を求めた結果拉致され行方不明になったり殺されてしまった人の家族に励ましの手紙を、そしてその「自由」を権力で押しつぶそうとする政府などに抗議の手紙を書く活動に参加している。

今の状況は四半世紀前とはずいぶん違うけど、手紙の宛先である国での、この「自由」のなさっぷりったらなかった。政権を批判したら翌日突然姿を消したり(で、遠く離れたまちで死体となって発見)、宗教的に対立するグループに通勤途中に誘拐されて何十年も行方不明だったり、政策を批判してたらある日終業後エレベーターを降りるときに機関銃で撃ち殺されたり、それはそれは野蛮で残忍だった。そして、こういう政治状況がまさに「先進国ではない国」そのものだと認識させられた。


この「自由」の存在は、先進国と呼ばれる上での必須条件だ。先進国ではもっと老獪なやり方でこの「自由」を封じ込めようとしているとしても、表向きではこの「自由」を否定することはできない。それは先進国を降りることになるからだ。
経済で大国となった中国がいつまでたっても先進国と呼ばれないのは、この「自由」が皆無だからだとわたしは思う。尊敬されない大金持ち。日本はこの成金クラスタからはとっくのとうに卒業したはずなんだが。

日本の外から見て、この「自由」が中国やロシアと大差なくなったときが、たぶん、逃げどきです。