ぱんつの視界

見えたこと、匂ったこと、触ったことを、ぽつぽつと。

2015年の8x8の日に

1日遅れてしまったけれど、8x8の日にはやはり何か書かねばということで、目からウロコだった以下のブログのリンクをば。

英語と太平洋戦争 | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日

「黙殺」の英訳の問題など一切知らなかったし、戦争と英語の関係なんて考えたこともなかったので、そういった視点からの考察はホント目からウロコだった。
さらに剥がれたウロコをもうひとつ。一部を以下に引用する。

国際連盟を脱退してみたり、「アメリカとは仲良くしなければならない。アメリカ人と仲良くする秘訣は、まず一発なぐることだ。なぐられればアメリカ人は相 手を認めて真の友達になる」と当時の日本きっての「アメリカ通」ぶりを発揮して対米開戦のドアを開いたりした外務大臣松岡洋右は、9年という歳月をアメリ カで過ごして、オレゴン大学を卒業していた。
自他ともに認めるアメリカと英語についての「第一人者」で、松岡の、いまからみると、「とんでもない」としか言いようがない対米認識を危惧する人間たちの 意見が通らず、松岡洋右が破滅への道を日本をひきずって堂々と歩いていったのは、「権威」や「その道の達人」には何も言わずに盲従する日本の人の常で、昭 和天皇ですら口答えが出来なかった。

松岡洋右は、アメリカ通ではあったけれど現地に友人のいない観察者のような立ち位置だったのね。歯を食いしばり恨みを抱きながら英語を学んでコンプレックスの化け物を大きく育ててしまったのかもしれない。

そして、そういう化け物に大多数のふにゃふにゃ日本人は勝てないだけでなく、優れた人と誤解したりする。もしかすると、辻政信牟田口廉也も何かのコンプレックスの化け物だったから、あんなに重用されたのかなぁと勝手に想像をふくらませてしまった。

 

このエントリに限らず、ここ最近のガメさんの一連のエントリは、8月のこの時期だからこそ読みたいものばかりだ。お涙頂戴でその次の考察がない、毎年8月のメディアのルーティンワークとは違うんだ。またひとつ引用してみる。

戦闘機 | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日

日本の「若い人をどんどん殺す」社会の伝統は、戦後も続いて、企業戦士の名前をつけられてカローシという新しい英語をうみだす。
これだけ若い人間たちから「生活」そのものを奪い、学校から始まって企業でも家庭においてすらもいじめ続けて、自殺に追い込み、自殺者がでると「バカが、こんなところで死ぬから電車が止まった」と舌打ちをする。
それでいて、「子供をつくりたがらない」と言って、閣僚が「女の人は人間を産む機械になってくれないと」と自分が種付けに励みたそうなおそろしいことを言 う鈍感・無責任ぶりなので、つまりは、きみもぼくも、全体主義の社会というものが、一見効率的に見えながら、どうして常に破滅して国家システムごと消滅す るかを、現実をうまく使って説明した絵巻物を目の前に見ているのだと言えなくもない。

ある日、敵のパイロットが基地の目の前の海に落下傘で脱出降下して着水するのをみて、坂井三郎たちが浜辺に集まって望見している。
敵同士とは言っても、同じ戦闘機パイロット同士、同じ若い人間同士なので、気の毒に、あそこでは日本軍の制空権下もいいところで、どうやっても助からん な、と言い合っていると、しばらくして、カタリナ飛行艇が、まだ日本の零戦が強盛を誇っていた頃の基地の上空にゆらゆらと現れる。
墜としにいかないと、と走りかけるパイロットの袖をつかまえて、誰かが空を指さすと、そこにはただひとりの同国人の若者を助けるためにやってきた戦闘機の大群が旋回していた。
「心から羨ましかった」と日本の撃墜王は書いています。

自分は、兵士としてはアメリカ側で戦いたかった、と何度も書いて顰蹙を買った人の、この戦士にしかわからなさそうな心からの言葉は、このあと何度も この人の言葉に出てくるが、きっと、なぜ自分は日本を心から愛して、救おうと思って戦っているのに、国は自分を紙くずのように捨てることしか考えないの か、という坂井三郎の、いまの国会前に集まった若い人びとと共通する悔しさが頭をもたげた、初めの瞬間だったのではないでしょうか。

映画『プライベート・ライアン』も、4人兄弟でただ一人戦死していなかった兵士の救出に向かう兵隊たちの物語だったなぁ。

坂井三郎を絶望させた我が母国、今もその酷薄さは変わっていないように思う。在外邦人を助けるために法整備が必要という声こそ勇ましいが、これまで海外で人質になり自己責任だと捨てられ死んだ人たちを思い出すと、法律ができたとしても実際の運用になると助ける人は峻別され、ときの政権が全体主義的だと反政府的な人は助けてもらえず、法律があったところで結局人は死ぬのだろう。

国民を駒のように使い捨てにする国の一員という自覚が私にもあるので、「逃げる」ための方法をちょろちょろと書いたりしている。だから、ツイッターでガメさんの以下のツイートを読んだとき、少し救われた気がした。

日本にもこうした「善意」はあるはずと信じている。でも、難民受け入れ人数が年に十数人というお国柄の中にあってはごくごく少数だし、その姿はまるでかげろうのようで、ときどきあるのかないのかわからなくなる。

8月の時期は「ユダヤ人を助けた日本人はもっといた!」みたいな話題(で、そのリンク先に行ってみると、ブログのタイトルが「美しい日本の〜」みたいなのだったりする)が、蛮行を帳消しにする免罪符として重宝される傾向が強い。経済的徴兵制ならぬ経済的奴隷制のような外国人研修生の存在を知ると、「美しい日本」の大半は昔話か想像の中にあるんじゃないかと思う。

フランスのカレーやギリシャに押し寄せる難民に苦慮しているヨーロッパが、戦時下に全体主義国家・日本の難民を受け入れたいと思うかは正直疑問だ。
だけど、ま、なったらなったで考えるさ。